こんにちは、くらげです。
私は読書が趣味なのと、ゲームもノベルゲームという文章に音声がついていたりスチル(イラスト)がついていたりする感じのゲームを主にやっているので、文章を読むのが好きだからゲームやってるみたいな部分があります。
毎日必ずというわけではありませんが、読書も気が向いたときにしているのもあり、書けないけれど読めるという漢字が結構多いです。
今回はそんな私の文章を読むという行為になぜそこまで魅力を感じているのかについて話していこうかと思います。
よろしくお願いいたします。
1・文章を読むようになった始まり
始まりは小学生の高学年の頃出会った児童書だと思います。
今思い返すと師匠のポジションの人が死んだり、いろんな人がひどい目に合うので小学生向きの内容ではないのですが、ちゃんと小学生に向けて書かれている本でひらがな多めなんですよね。
高校の頃読み返そうとしたらひらがなが多すぎて断念した覚えがあります。
それでも中学生くらいまでは繰り返し読んでいて、途中までの展開はわかっているという感じです。
主人公が吸血鬼なのですが、吸血鬼になりたくてなったわけではないし半人前だし……みたいな感じで吸血鬼の集会みたいなところで沢山試練を乗り越えるところが大好きでして、そこで出会う仲間たちも魅力的なんですけれど、一番好きな人が死ぬので一番読むのが辛い部分でもあります。
しかしこの部分、まだ序盤で主人公はこの頃子供なのですがきちんと大人になるし、登場人物も増えてややこしくなったりします。
非常に展開が熱くて楽しいのでおすすめしたいのですが、それと同じくらい絶望するので誰にもお勧めできない小説です。
その小説に衝撃を受けて、全巻母におねだりするほどはまりました。
母があまりに私が必死にねだるので緊急性を感じたのか、中古で買ってくれて非常に嬉しくて当時寝る時間が21時と決まっていたのですが、こっそり布団の中に隠して読んでいた覚えがあります。ばっちりばれてこってり絞られました。
そんな感じで登下校の時も歩きながら本を読んでいたりして、それを保護者の方に目撃されたりしていたのですが、その頃から文章を読むということが楽しくなってきていた気がします。
2・中学生から高校生
読書に没頭するのに比例して友達がいなくなったので、休み時間などもずっと読書していました。
昼休みになると図書室へ行くのが定番で、一回だけ図書委員になれた時は非常に楽しかったです。
中学生の頃は多分ライトノベルと呼ばれる若者向けの本を主に読んでいた気がします。
有名な蟹に体重を奪われてしまう少女の話とか、色々読んでいました。
一度、司書の方からこの本をどう思うか感想聞かせてほしいと言われて読んだ本があって、それが非常に私好みですごく楽しい読書体験をしたのですっごい面白かったです!と語彙のない返事をしたら翌日くらいに図書室に入荷されててはしゃいだ覚えがあります。非常に嬉しかった。中学時代で一番うれしかったのはこれかもしれません。
高校に入学したあたりから一般文芸と言いますか、ライト層に好まれるような有名な小説家さんや、マイナーな小説家さんを発掘したりなど高校〜社会に出た辺りが一番よく読書していました。ですが1つ苦難が押し寄せます……
3・読むのが好きなのに読めなくなる
病気になってからですが、読書に熱中したかと思えばある日突然文字が1つも読めなくなるという謎の症状に襲われるようになります。
いつ始まって、いつ終わるかわからなかったので非常につらかったです。
文章を読むことくらいしか暇をつぶす方法がないのに、文章が1つも読めないので、休み時間は非常に苦労しました。
読んでもいない本を開いて微動だにせず固まる私は多分クラスで浮いていたと思うのですが、誰も突っ込むような人がいなかったので、多分誰も私のことを見ていなかったのだと思います。
読書がだめならゲームだ!と思ってゲームを起動するものの、そちらも案の定何も入ってきません。
読み上げられた文章が頭の中でバラバラに分解され、解読不能な言語になってしまい、大変困りました。
文字が読めないとやることと言ったら、音楽を聴くことくらいで、音楽を聴くのですがやはり頭の中でバラバラになり、1つも意味がわからないけれど、好きなリズムだから何とか聞いてるみたいな感じでした。
かと思えば500ページくらいの超大作を1週間以内に読んだり等読める時はめちゃくちゃ読めるみたいな感じでした。
多分文字を読みすぎる⇒意味が分からなくなり、1文字も読めなくなる⇒休む⇒また読めるの繰り返しだったと思います。
読める時に読んどけみたいな感じでめちゃくちゃ無茶な読み方していたなあと今は感じます。
最近はたまに読書したいときにして、たまにゲームしたいときにゲームしているので、読めないってことがなくなりました。
もしかしたら読めないっていうのは障害の症状だったかもしれません。
今は症状が比較的安定しているので、出てこないかもしれないですけれど、また症状が重くなったとしたら、もしかしたらまた文字が読めなくなって虚無になるかもしれません。
4・おわりに
今回は私の読むことについて書いてみました。
文字を読むと言っても、私はいろいろな方法で文字に触れているし、もしかしたら普通の人より読むことに多く触れているかもしれません。
ですが、どの人にとっても読むことは身近にあって、それに手を伸ばすか否かで結構分かれると思います。
振り返ってみると、私にとって「読む」ということは人生と密接に関係しているのかなと感じました。
「読む」ことが好きじゃなかったら、今の私はいなかったと思います。
この記事を読んで、本を読んでみようかな、とか思っていただけたのなら非常に嬉しいです。
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