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はじめに~寂しさがくらげを襲う~
こんにちは、くらげです。
私はどうやら極度のさびしがり屋の側面があるらしく、それを最近グループホームの職員さんに指摘されてそういえばそうかも?と思ったので、今回は私の抱えている寂しさについてお話していこうと思います。
1・学生時代
私の学生時代の口癖は友達が欲しいでした。
小学校の低学年の頃は友達がたくさんいたようなのですが、その友達たちを放って読書に没頭しているので、友達たちが多分愛想を尽かして離れてしまっていて友達と呼べる人が小学生の頃は幼馴染の1人しかいませんでした。
その子は非常に私と頑張って関わろうとしてくれてて、高校が別だったのですが離れてからも友達でいてくれました。
ちょっとどの行動が彼女の怒りに触れてしまうか、私は図れなかったのですが、優しい子だったのだと思います。
その子からも愛想をつかされて結局今は友達ではないのですが、積極的に遊びに誘ってくれる唯一の子でした。
今思い返すとその子がいたおかげで中学生になるまでは寂しさを感じることなく過ごせていたと思います。
でもその子へのあこがれがあった(その子はたくさん友達がいた)ので、口癖は友達が欲しいでした。
2・高校時代
高校からはその子と別々になってしまったのもありますが同じ学校の人は見かけるものの顔を知っている程度の人しかいなかったので、友達が1人もできなかったのもあり、友達が欲しいと毎日泣き叫んでいました。
この頃から常に寂しいみたいな感情に支配されていきます。
多分私を見ていてくれる誰かが欲しかったのだと思います。
結局2年生になった時友達はできましたがその子からは大事にされていないというか、別の友達の方が大切だしそっちを愛してるからあんたとはたまたま近くにいただけのおまけで友達になってるんだからね?みたいな雰囲気をビシバシ感じてしまって、寂しさは埋まりませんでした。
頻繁に遊んでくれてはいたけど、心は許してくれてなかったのだと思います。
そんな感じで寂しい寂しいずっと言ってたので母に呆れられつつ、どうしても心がぽっかり穴が空いているような虚無感が半端じゃなくて、辛かったです。
3・高校卒業後
高校卒業後も頻繁に虚無感に襲われ、誰かと接しなきゃダメだ、友達作らなきゃと焦ってSNSで趣味の合いそうな人と関わってはある日突然限界を迎えて関係をすべてリセットするということを繰り返していました。
多分そこから私は嫌われ者なんだ、という感情も生まれてきたと思っています。
あまり良い感情を向けられてこなくて、虚無感は強くなるばかりでした。
4・グループホームに来てから
グループホームに入ってからも定期的に寂しさが爆発してて、最初の頃は寂しい寂しいと口癖のように言ってしまう時期がありました。
少しでもみんなといたくて、リビングに居座ったりもするのですが、1人になりたい気持ちがあるのかそわそわしてしまうのとリビングの開放時間が22時までなのもあり寝る前のしんどさが辛くて……気分が暗くなった時は職員さんに相談したりもしています。
そこで話題に上がってきたのが寂しさの話でした。
1人でいると寂しいんじゃない?と言われて、確かに!と思いました。
というのも、心が深く沈むときや過去の嫌な思い出を思い出す時、いつも1人の時間なんです。
それに最近精神の影響で腹痛がひどいのですが、それも1人の時に感じることが多く、1人でいることに耐えられないのかな?と思っています。
グループホームに入りたての頃は寂しさが続いたりなどしましたが、今は仲間がいる時はすげえ寂しい!とかは思わないので、一緒にいた方が健康にいいのかなと思うのですが、私の面倒な側面で1人の時間が好きという部分があって、矛盾していて面倒な人間だなと感じるのですが1人の時間がないとしんどくなってしまうこともあるので、折り合いをどうつけよう?と考えています。
職員さんが言っていたのですが、人間って矛盾するものだよね、みたいな話を聞いて私だけじゃないんだとは思いますが、寂しさで押しつぶされそうになるので何とかしたいです。
5・寂しさは誰でも持っているもの
昔心理士さんに聞いたことがあるのですが、人間って誰でも寂しさを抱えているもので、その寂しさを受信するのは人それぞれ感じ方が違うけれど、誰もが寂しいから寂しいと思うことは悪いことじゃないよというような話をしてくれたことがあって、当時すごく寂しかったのですがそれだと解決方法ないじゃん!と思った覚えがあります。
皆一緒だと知って、それをどう解釈すればいいかわからなかったのと、寂しさが本当に許容量を超えていて辛かったのもあって悩んだ覚えがあります。
でもそういえばその時引きこもりみたいに1人でいることが多くて、しんどいという気持ちを誰かに話すってなった時心理士さんくらいしかいない状況(まだ仲間たちとそれほど仲良くなかったかも……)だったので、今とは少し状況が異なっています。
今は何でもかんでもグループホームの仲間になら話せるし、辛い時はしんどいって言えますが、当時は心をさらすことに抵抗があって……
とにかく、寂しさに人生というか感情を振り回されがちです。
対処法としては、信頼できる誰かと一緒にいることかもしれないという案が出ていて、そうかもと思ってちょっと1人になる時間を減らそうかなと考えています。
6・寂しさの正体〜結局この寂しさはどこから来るのか?~
いつの間にか抱えていた寂しさですが、家庭であまり両親がわかりやすく愛してくれている感じじゃなくて、愛情はあるけれど伝わってなかったみたいな面があって子供のころから寂しさがあったのと、小さな頃は友達がたくさんいたので、その子達に埋めてもらっていた寂しさが、1人になったことで浮き彫りになったという気もするし、どれが原因ですか?と聞かれた時にいろいろ心当たりがありすぎて、どれが正解かわからないのですが、結局は生まれ持ったものかもしれません。
最初から周囲に人がいないとしんどくなるタイプな気がしますね。
小さい頃から寝る前の時間が大嫌いでしたし、話せる子がいないと辛いと感じてそこから逃げてしまったりするタイプでした。
メンタル的にも弱いというと悲しくなってしまうのですが、ちょっと脆い感じで、衝撃が加わるとすぐ崩れてしまいそうな心を持っていたから、いろいろあって、許容量オーバーして、病気として私に帰ってきたという感じだと思います。
ちょうど多感な時期に病気の診断を受けたので、多分ショックを受けたし、それまで精神病についての知識が0だったので、情報収集したりもしました。
情報を集めることで、この心の穴について名前を付けようとしましたが、結局よくわからなかったです。
寂しさって、結構重くのしかかってくるので辛いですけれど、これからも一緒に生きていくならいつか原因がわかれば、または原因はわからなくてもせめて対処法とかわかればいいなと思います。
7・おわりに
いかがでしたでしょうか?
今回は私の抱える寂しさについて紹介いたしました。
本当に心に穴が開いた状態でグループホームに入るまでを過ごしているので、この寂しさと向き合うにはまだ時間が必要そうだし、いまだに心に穴が開いているような気分になったりしますが、グループホームの仲間や職員さん、カチカの方々もいらっしゃるので強力な味方がそろっていて、いつかきっと治る日が来ることを祈りつつ、生活しています。
この記事を読んでいる人の中にも、深い虚無感や、寂しさを感じている方がいるかもしれません。
私もいるので、一緒に寂しいねって言いあいましょう。
1人で辛い思いをするよりは、2人で辛い思いをする方が楽だと思うので……
それはそれとして、辛い思いはしたくないですね、苦しいですから。
それでは、今回はここまでで失礼します。
いつも読んでいただきありがとうございます。また次回。
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