こんにちは、くらげです。
自分は結構癖がある人間で、こだわりも強いので、マイルールやここだけは譲れないというものがあります。
今回は、そういった自分の大事にしていることについてお話しできたらなと思います。
よろしくお願いいたします。
1・自分の考えを持つ
流されやすい人間なので、人にこう言われたからこうする、というような変な行動をとってしまったりします。
そういう自分を変えたくて、最近自己肯定感が上がったのもあって自分の考えをしっかり持つということを結構大事にしています。
母がこう言ったから、とか誰かがこう言ってたから、とか人にやらされましたみたいなのはあまり良くないし、自分で行動したんだから自分の行動には責任持ちたいと最近は思っています。
これはまだ実行できてないといいますか、自分の中では比較的新しい部類の考え方なので、日夜勉強中です。
自分の考えがはっきりしている方が、多分将来とかもちゃんと計画できるようになるのではないかなと考えているのもあります。
普通の人になるための練習でもあります。今までが、流されてばかりの人生だったので、舵取りくらい自分でしたいとちょっと思っています。
2・好きな事には全力で
これは昔から変わらない私の信念みたいなものです。
自分の好きなものを好きな人が周りにいなかった(ただいたけど気づいていなかっただけかもしれませんが)ので、自分の好きなものには正直にいよう、という思いが強いです。
推し活とか最近は流行っていますが、自分的には推し活という認識がなくて、好きなものを好きと言ってる孤独な戦士みたいな感じです。
グッズとかも結構買っちゃって散財したりしますが、最近は控えるようにしています。
誰かと比べたりせず、自由に好きなものを好きと言い続けていきたいなと思います。
読書やゲーム、音楽など沢山好きなものがあるので、多分両親の育て方が良かったのかもしれません。感受性豊かとは言えないかもしれませんが、いろいろなものから様々な感情を受け取れるような人間になりました。
私は好きだけどマイナーなジャンルとか、私は好きだったけれどサービスが終了してしまったゲームとか、好きだと言い続けていてもいつかはコンテンツの終わりのようなものが来てしまうのを体験しているので、マイナーだろうがメジャーだろうが好きなことには変わりないと思っています。
逆に苦手とするものを押し売りのような形で強引に勧めるような人は苦手です。
自分が一番正しいことを言っている、というような感じだと思うのですが、ファンの中には一部怖い人もいるのでそういう人とは関わらないように、ネットの友達とかを作らないようにしようとちょっと前のネットの人間関係で学んだので、どれだけいい創作をしている人にも接触はしないようにいています。本当に見てるだけ。
なのにSNS依存っぽいから私は面白いですね。
私はというより、人間が面白いんだと思いますけれどね。
SNSばっかり見ているせいでゲームのネタバレはバンバン食らいまくるし、なんか何も良いことないからSNSやめなよ!って思います。
最近自分の好きなバンドがグループホームの職員さんも好きだったり、自分の好きなゲームクリエイターさんのゲームにグループホームの利用者さんが興味を見せていたりして、早口オタクになったのと、案外私の好きなものも捨てたもんじゃないなというかそんなマイナー過ぎるって程でもなくて、知っている人は一定数いるのにその人たちに私が気づいていないだけなんだろうなって思い始めました。
グループホームの利用者さんがこのゲーム気になるけれど売ってなくて……とか言ってたので押し付けました。私もまだクリアしていないです。嬉しすぎて信頼もしていたので先にやってもらおう!って思ったんですよね。嬉しすぎたが故の奇行です。
3・思いやりのある行動をする(出来るだけ善人でありたい)
私の深い部分には多分この要素が関わっていると思います。
できるだけいい人に思われたい。という単純な考えなのですが、それで結構行動を決めている節があります。
自分のことを性格の悪い人間だと思っていて、いるべき存在ではないという思いが強いのと、とにかく人にすごく好かれたいのでちょっとだけでも人に好かれるような行動をとろうとしてしまいます。
例えば何か落とし物した人を見かけたらちょっと距離が離れていても、走って行って「これ落としましたよ。」とか言います。
以前バスに乗っていた時、前の座席のおばあさんがお金を落としてこちらまで転がってきたのでそのおばあさんに返そうと思って「落としましたよ。」と言って差し出したら、多分耳が悪い方で、金額が足りないことも気づいていなかったのか「いらない!!!」って怒鳴られて戸惑ったことがあります。結局バスの運転手さんに渡しました。
そんな感じで善意でやったとしても迷惑というか、嫌がられる場合もあるんだなあとか思ったのですが、完璧に善人になれているわけじゃなくて、救える人だけとりあえず手を差し伸べておくか、みたいなスタンスです。
またバスでの思い出なのですが、前の人が金額が足りなくて困っているのに私はそれを見過ごしてバスを降りたので、そのことが今でも引っかかっていたりします。
「あの時代わりに払ってあげられたのでは?」とも思うのですが、「そんなことして何になるんだ」とか「お金を代わりに払うのはやりすぎというか不審者なのでは?」とその時は思ったので、見過ごしました。
そんな感じで善人のふりしている悪人だと自分の認識では感じているので、普段嫌な奴だからたまにいいことしたら報われるかな、とか思ってたまにいいことをします。
あとはあまり人の意見を否定したりしないようにしたいと思っています。
明らかに異常だとか思ったら口出ししちゃうのですが、できるだけそうだね、わかる〜みたいなことを言おうと考えています。
親にもそうできたら良いのですが、母が特に言っていることがたまに支離滅裂なのでそこをつついたりして喧嘩になってしまいます。
この間、「どいて」って言われたから「邪魔だったね、ごめんね」といったら「邪魔って表現は私の言いたいこととは違う」とか言われて言い争いになったりしました。
私的には「視界に入ってたんだね、ごめんね」くらいの軽い言葉だったのですが、邪魔という表現がどうやら気に食わないらしく、毎回邪魔という言葉を使うたびにつっかかってくるし、邪魔って言葉は使うなとかも言われて、なんでそこにそんなこだわるのか理由を知りたいのに理由を話してくれないので争いになりました。
でも昔、結構母に邪魔って言われたような気がするんですよね。なんでかな~……
母は結構高圧的に人を支配したがるので、そういうのを見て、そうならないようにしようと考えているのかもしれません。
優しい人になりたいのに優しい人じゃないから葛藤しているという感じです。
優しさについてずっと考えて頭を抱えたりしています。
考えすぎだよ、と言われてからは考えないように気を付けています。
4・おわりに〜あなたの大切にしているものはありますか?~
いかがでしたでしょうか?今回は私の価値観、大切にしていることについてお話ししました。
くらげという人間の解像度が少し上がったのではないでしょうか?
私は知的障害のグレーゾーンであったり、発達障害っぽさもあるので少し考え方に癖というか変わっている人間と他の人に言われるような感じかもしれません。
マイルールが本当に多くて、それで生きるのに苦労していたりもしますが、その話はまた別の機会にしたいと思います。
書いているうちに自分の思考についても深堀りできて、非常に有意義な時間を過ごせました。
普段、自分のことをないがしろにしがちで、「自分は駄目だ」、「自分みたいなのが生きてることが申し訳ない」みたいなことばかり考えていて、自分自身についてあまり考えたことがなかったので新鮮でした。
自分の思っていることを書きだすという精神療法があることは知っていたのですが、実践する機会がなかなかなかったので、良かったです。
この記事を読んだ方が少しでもくらげに親近感を覚えてくれたらうれしいなと思います。
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