こんにちは、くらげです。
私は度々、人に思っていないことを言って後になってから本当はこう思っていたなどと言ってしまいます。
これは言われた方からしたら非常に困りますよね?どうして、そういう言動をしてしまうのか?その原因について今回はお話していこうと思います。
1・小さな頃、欲しいものを欲しいと言えなかった
今回のテーマと関わっているんじゃないかと思っている記憶がありまして、小さな頃、欲しいものを欲しいと言えなかった記憶があります。
後になってやっぱり欲しかったとか泣きじゃくっていたようで、後で言うくらいなら最初からほしいと言えばいいじゃない!と母に何度怒られても、この癖は治らなかったです。
どうやら引っ込み思案と言いますか、思っていることを飲み込んでしまうタイプの人間だったようで、これ欲しい?と聞かれても欲しいって言ったところで買ってもらえないしな、とか考えていらないというのですが、欲しいと言ったら多分買ってくれる人なんですよ、母親は特にそう。
逆に父親はそういうのをケチるタイプでした。
お祭りだから何?みたいな。母の財布の紐が緩い分、父がしっかりしなくてはと思っていたみたいです。今でもケチ臭いというか、守銭奴みたいな部分があります。病的なくらいお金に厳しいので、多分そういう父親の顔を見て、言っても無理。と思い込んでいたのですが、母は多分言えばなんでも買ってくれたのだと思います。
当時、我が家ではお小遣いのない代わりに物を自由に買い与えてくれるような家庭でしたので、私は思い込みが激しくて、欲しいものを欲しいとも言えず遠慮して、大分損をしたと思います。
2・現在、思ってもいないことを言ってしまう
そこで今回のテーマ、思っていないことを言ってしまうことについての話になります。
私の中では社交辞令というか、行き過ぎた謙遜みたいなイメージなのですが、例えばやりたくもない仕事があるとして、私しかいないんだ!とか思って軽い感じで引き受けて後悔することが結構あります。
これには理由があって、仕事を断ることで、相手を不快にさせたくないというか、他の人を探す手間をかけたくないという感じでいつも頼まれたものは全部引き受けています。
そのせいで仕事が苦しくなっても自己責任だから自分がしっかりしなきゃみたいな状況になったりします。
それと、やはり以前にもお伝えした善人でありたいという部分が大きく影響しているのですが、八方美人になろうとしているというか、できないけれど頼まれたからやらなければいけないというような状況を自分で作ってしまいます。
それと同じで、この人つまんないな〜とか思っても〇〇さんおもろいですね!とか言う場合があります。
それに関しては、こう言われたがっていうというか、この言葉が今欲しい!みたいなオーラを感じる人には、その言葉をあげると喜ぶからウィンウィンで最高!みたいな感じで、お世辞をめちゃくちゃ言ってしまいます。
なんでそんないい人ぶるの!?って感じだと思いますが、別にいい人ぶりたいわけではなくて、いい人のふりをすることで、いい人に近づきたいというのが近いです。
いい人の周りにはいい人がいると信じているので、この人は信頼できるという人とかが例えばいたとしたらその人にばっかり話しかけたりしちゃいます。
嫌いな人への態度と好きな人への態度がわかりやすすぎるので、くらげの機嫌がいい場合は楽しい場合だし、くらげの機嫌が悪い場合は多忙か鬱か体調不良のどれかです。
というわけで、くらげはいい人のふりをしたいというただそれだけのために平気で嘘を付くし、お世辞も言えます。
空気読みが微妙にできるって感じですね。
声のトーンとか話し方で好感を持たれているかどうか若干わかったりもするのでそういう音から情報を受け取るのが得意なのかもしれません。
一年中イヤホンしている人間なのに不思議だなあと思います。
耳を大切にして生きていこうと思います。
3・おわりに~善人のふりするのやめた方がいいかもしれない~
過剰に良い人になろうとしすぎて嘘や、思っていないことまで行ってしまうので、個人的には欠点かもしれないと今回記事を書いていて気になりました。
なんでそこまでして善人になろうとするかというと、何も理由が思い浮かばないのですが、その方が多分生きやすいから、普通に近づけるからという理由が一番適しているかもしれません。
何事も行き過ぎた行為は病的というか、ちょっと損な役回りになってしまうことが多いと思うので、適度に良い人やれればそれでいいじゃん!と思いました。
皆様は、相手を気にしすぎて言いたくないことを言ってしまったり、行きたくないのに行くと言ってしまう等の経験はないですか?
もしも私のように悩んでいる人にこの記事が届いたらいいなと思います。
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