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1・はじめに:今苦しんでいるあなたへ
こんにちは、くらげです。
私は、カチカが出来た最初の頃に入所できたのですが、それまで実は結構心が荒れていて、今は落ち着いてきましたが、当時は持病の症状で大変苦しんでいて、毎日いつ死のうかな……と考えていたり、自傷したりしていました。
そんな私ですがカチカの社長と出会い、カチカで段々病状が落ち着いてきています。
社長には感謝してもし足りなくて、色々環境も変わったので、今回は私がカチカに出会う前について話していきたいと思います。
この記事には自分を傷つける行為や、希死念慮についての話題が含まれるので、読んでいて気持ちが暗くなったり引っ張られそうな時は読むのをやめることをおすすめします。
この記事はいつでも読めるので今辛い気持ちで読むよりも、自分の気持ちが沈んでしまわないような時に読んでいただけたら嬉しいです。
暗い記事ですが、この記事が今困っていたりしんどかったりする誰かの助けになれたら良いなと思って作成しました。
それでは、よろしくお願いいたします。
2・カチカに来るまでの話
2-1 高校卒業後、ハローワークに通っていた話
私は自分の見た目を結構気にしており高校受験の時、自分が太ってたら友達なんてできないだろうから今から体を作って(痩せて)おこうと思い、過激なダイエットを始めてしまってから、精神の状態が不安定になりました。
健康的な痩せ方をしなかったので、拒食症という食べることが難しい病気にかかってしまい高校へ入学したので、そんな気味が悪いほど痩せている人間に友達ができるわけもなく、元々人に話しかけることが不得意だった(今も人に自分から話しかけられません)のもあり、友達が1人もできず、精神科にもかかっていたのですが、とにかく食べて太れ!みたいなちょっと疑うレベルで拒食症への理解がない医者だったので、その通りにしていたら過食(お腹いっぱいなのに食べ続けて自己嫌悪してしまうような病気です)になって、痩せていたのにぶくぶく太るし、勿論そのことで同級生に笑われて、自己嫌悪に陥り、自傷行為(自分を傷つけてしまうことです)を続けたりとか高校では不登校ぎみだったので、就職活動も大学入試もできなくて、いきなり社会に放り出されました。それでも卒業はさせてくれたので、まだ良心的な高校だったのだと思います。
それでずっと無職は嫌だなと考えて、ハローワークに通っていたところ、ある日あなたは一般企業に就職するには準備が必要そうに見えるから就労移行支援を受けてみたらどうか?と提案され、そこへ行くことになります。
2-2 就労移行支援を利用していた頃の話
就労移行支援では、障害のある方たちが一般企業で働くためのビジネスマナーを学んだり等いろいろ学べます。
私は集団行動というのが昔から苦手で私がいた就労移行支援の施設では、作業が終わってすぐ帰宅ということがルール的にできず、私がそれに気づかず何度もルールを破っていたので注意されたり等もありましたし、週4日行くことになっていたとしたら、そこから体調が悪くて週2日に戻すと言っても受け入れてもらえなかったり、色々なルールで縛られていて非常につらい思いをしました。
なぜか自分から声をかけないと状況が進まないという場面が出てきて、なんで私が声かけなきゃこの状況が進むことがないんだ?と疑問でしたが、多分社会に出ていくためには必要な行程なのかもしれません。報告、連絡、相談といいますし、そういうのを強制してくるような環境だったので……
荷物を置く場所が1箇所しかなく、泥棒し放題の状況だったので、お金が無くなるのが怖くて自分の荷物を持っていたら荷物置く場所あるのですからそこに置けばいいじゃないですかと言われたこともありましたが、どうしても怖くて自分の荷物はいつも自分で持っていました。
途中で、無理やりにでも就職させてやろうみたいな状況になりまして、というのも就労移行支援は2年しか受けられないという決まりがあるので、その中で就職しないといけないのです。
自分の望んでいない場所に就職させられそうな感じがビシバシ伝わってきまして、当時オーバードーズ(薬を規定量以上飲むという命に危険があるものなので、皆さんにはやらないでほしいです)ばかりしていたこともあり、薬を規定量以上飲むことに抵抗がなく、ちょうどお酒もあったので、絶対にマネしないでほしいのですが、就職させますよみたいな日の前日に規定量以上の薬をお酒で飲んでばったり倒れて、私はそこには就職したくないということを自分の体を犠牲にして示したので、母からはお前本当にバカだなと言われましたが、なんとか就職することもなく、就労移行支援の事務所からこれ以上付き合いきれませんみたいなことを言われ、そこをやめました。1年くらい利用していましたが、私には合わなかったです。
2-3 別のB型を利用していた頃の話
就労移行支援で就職できなかったので、またハローワークへ通う日々が始まります。
どうしても就職したい……でも就職するには強みが何もない……
そんな膠着状態の頃、就労継続支援B型に行かないか?と提案されます。
一度見学に行かないか?という話になり、見学に行って嫌な感じがしたのですが、働かないよりはマシだし、職員さんがやさしそうに見えたので、利用を決めました。
この時も後から思い出すと断れないような状況でしたが、嫌な感じは感じていたものの、言語化できなかったので利用しました。
最初の2〜3年ほどは色々な軽作業があったのですが、3年目の前半くらいの頃事業所が新しい場所に代わって、そこから猫のえさの検品作業がメインになってきました。
たまに布を切る作業など違う作業があったりはしたものの、メインは猫のえさの検品で、その猫のえさがたまに臭くて、湿っている場合があって非常に嫌でした。
嫌だなという思いはありつつも、ほかに行く当てがないので5年か6年程勤めていました。
3・カチカに出会う
3-1 カチカとの出会い
カチカとの出会いは本当に偶然で、当時働いていたB型を辞めたい気持ちが強くて求人サイトをずっと見ていたのですが、その時ある求人サイトでカチカの職員さんの求人を見つけました。
職員さんにはちょっとなれないな……と思って詳しくみて見ると、どうやら利用者の求人もしている様子。
利用者にはなれるかもとすぐに応募したところ、レスポンスが来て、カチカの社長と面談をすることになりました。
当時非常に緊張して、確かスーツで行こうとしていた気がします。
2度程しか着ていないスーツを着たのか、着なかったのかは忘れましたが、ちゃんとしなきゃ!という思いがありました。
本社の場所が少しわかりづらくて、職員さんが下までお迎えに来てくれたことを覚えています。
私以外の面談の方もいて、その方たちは全員リモートだったのですが、私ともしっかりと社長が話をしてくれて、この人にならついていってもいいかもしれない、優しい人に会ったの初めてかもというようなことを思った記憶があります。
あとタイピング早いね!と褒めてもらった記憶があります。
そこから8月に利用が始まりました。
パソコンでの作業は私に非常に合っているらしく、非常に楽しく毎日作業をしています。
3-2 現在
紆余曲折があり現在になります。
現在私は社長が経営しているグループホームと呼ばれる障害のある方達が暮らすことのできる家に住んでおり、毎日楽しく暮らしています。
実は家族との関係が近すぎて、そのことを社長に相談したら住むとこ、あるよ!みたいな感じでとんとん拍子に話が進み、その過程で母を呆れさせたりはしたものの、なんとか1人暮らしのようなものをしております。
何人か利用者さんはいますが自分の部屋があるので、自分の時間が持てることがありがたいです。
実家にいた頃は自分の時間というものがなく、非常に家族との距離が近くて、苦労していたというか精神的につらかったので、今の状況は非常にありがたいです。
おわりに:私が、今、あなたに伝えたいこと
いかがでしたでしょうか?
今回は私の人生を結構赤裸々に話しましたが、簡単に言いたいことをまとめるとするなら、カチカに来てから死にたいと思うことがあまりなくなったといいますか、人生がなんか楽しくなってきて、死ぬのはまだだなと感じているということを伝えたいという思いもありこの記事を作成しました。
希死念慮を毎日感じてた人間が、人生楽しいと言えるようになったり、作業を通してできることが増えたので、自分に自信がついたりしています。
カチカに来たら誰でもそうなるという事はないかもしれませんが、私の場合カチカに来たことで、生きがいをもらっているので、カチカと出会ってよかったなと思っています。
この記事が、現在人生に迷いが生じている方等に届けることができたらいいなと思います。
辛い方を全員助けることはできないかもしれませんが、一部でも私のように助かっている人がいることは事実だと思うので、良かったら見学に来てみてください。
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