私は読書が好きです。
ですが、とても文学少女と言われるような読書遍歴はしていません。
それでも、本を読んでいる=文学少女と呼ばれることがあります。
これは、子供の頃よく大人に言われていて、すごく不思議でした。
私の読んでいる本はそんな難しいことは書いていないのに、文学少女と言われるとなんだか嘘をついている気分になりました。
そんな私が今まで読んできて読めなかった本や、理解が難しかった本を今回は紹介していこうと思います。
この記事では、読書体験でつまづいても、読書に苦手意識を持たなくてもいいということを伝えられたらなあと思います。
人間失格
1つめは、人間失格です。
凄く有名な太宰治さんの小説ですね。
「恥の多い人生を送ってきました」という文章から始まるということを知っている人は多いと思います。
私がこの小説を読んだのは、中学生の頃でした。
当時、文学作品に触れてみたくて有名だからという理由でこの作品を選びました。
結果、振り回されることになります。まず、微妙に今時の文章と違います。
上手く表現しにくいのですが、なんだか読みずらいなと思った覚えがあります。
文章を受け入れられなかったため、少し読み進めるだけで普段の倍くらいの時間がかかり、また内容も中学生には早かったのか理解できず、ずっと「?????」と頭に?が浮かんでいました。
今となってはどういった内容だったかも覚えていません。
これが初めての躓きで、以降文学作品に少し苦手意識が出ますが、大人になってから文学作品でも読めることがあることに気づいたので、いつか再挑戦したい小説です。
中島らもさん
2つめは、中島らもさんの作品です。
この方も小説が好きな方たちの中では有名な方だと思います。
ですが、私は少しこの方の文章が苦手です。
どこが面白いのかが理解できないというファンの方に非常に申し訳ない状態と言いますか、私の理解力が及ばない文章を書く方だと思っています。
この方の小説を読んだのは高校生の頃でした。
当時、ネットの友人で中島らもさんが大好きな方がいて、いくつかの小説を紹介していただいたのと興味があったので読んだのですが、ちょっと難しかったです。
確か、若者が風邪薬で意識を飛ばす話だった気がするのですが、飛んでいる最中の脈絡のない文章を読むのがめちゃくちゃ辛くて、途中で読むのをやめてしまった覚えがあります。
なんというタイトルだったか忘れてしまったのですが、ちょっと自分に自信がなくなったのを覚えています。
ちなみになんというタイトルだったか、書いていると気になってしまいちょっと調べてみたらバンド・オブ・ザ・ナイトという小説で、咳止めシロップをオーバードーズしてしまうバンドマンの話だったようです。
最初、調べた時検索で出てきた小説が、表紙に見覚えがなくてこれじゃないと思って絞り込んだらこのバンド・オブ・ザ・ナイトという小説の表紙をすごく見た記憶があったので、これだなと思いました。
ちょっと公の場で読むのをためらうような表紙なんですよね、学校で読んでいましたが。
村上春樹さん
3つめは、村上春樹さんです。
私の好きな小説家である伊坂幸太郎さんと文章が似たような雰囲気があるということでちょっと読んでみようと思って読んだ覚えがあります。
これも高校生の頃でした。
今となっては何故かわかりませんし、どの作品を読んだのかさえ分かりませんが、とにかく苦手だと思った覚えがあります。
大人になったら何故か読めるようになったので本当に何故苦手と思ったか全くわかりませんが、とにかく苦手だから読めないと思って読むのを断念しています。
当時の私に村上春樹さんの小説を1つおすすめできるなら、ノルウェイの森をおすすめする気がします。
ノルウェイの森は大人になってから「村上春樹さん、実は好きなんじゃん」と目からうろこが取れた小説でしたので、高校生の頃の私も多分衝撃を受けていたはずです。
苦手な本がある、それでも読む理由
私が最後まで読めなかったのはこの3つだと思います。
その他にも、最後まで読んだけれど好きじゃなかった小説などもあります。
それでも、私は読書が好きですし、今でも本を読んでいます。
ほんの小さなきっかけですが、読書で挫折して本を読まなくなってしまうという方も中にはいらっしゃるかもしれません。
ですが、私はそれはもったいないと思います。
何故ならせっかく現代は多くの本があるし、その中で読めない本もあるのは人として当然だと思うからです。
小説を読めるということだけでも貴重な才能だと私は思います。
文章を読めない人もいる
私の家族の話になりますが、私の母は文章が読めません。
文字を見ていると嫌気がさすそうです。
ちなみに連絡でも影響があって、例えば私がLINEで「今日実家に寄る前、コンビニ寄ってくれ」と送ったとします。
その連絡に既読がついても返信が来ない場合があって、そういう場合大体「読んでなかった」であるとか「知らない」という返答が返ってきます。
このように、文章を視認できても理解できないという人もいます。
なので、文章を読んで解釈ができるという人は結構恵まれていると思います。
私は偶然小学生の頃、児童文学で運命的な出会いをしたため読書が好きになりましたが、この出会いがなければ、本を読むことが好きにはならなかったと思います。
小説が好き、ということは「小説を読まない人よりも楽しみな事が多い」ということでもあると個人的には思います。
好きな小説家さんの作品を読めるというだけで楽しいし、多くの出会いがあります。
また、自分の世界を広げるということにも貢献していると思っていて、私にはすごく大好きな小説がいくつかありますが、どれも自分の人格に影響を与えていると思っています。
このように、自分の中の「好き」が分かるというのも利点だと思います。
おわりに
いかがでしたでしょうか?
今回は私の読書での失敗体験と、それでも読書をする理由についてお話してきました。
読書というのは、結構贅沢な趣味だと思っていて、小説っていろんな景色が詰まっているし、いろんな考え方も詰まっているので、新しい世界を見つけることにうってつけで奥深いです。
関係ない話かもしれませんが私の文章を好きと言ってくれる方も、世の中にはいらっしゃるらしくてそういう話を聞くとかなり照れてしまいます。
実は、小説好きな影響か文章を書く仕事というのに強い憧れがあって、何度かフィクションを書いてネットで公開していたこともあったのですが、つまらないと言われたりして私には文章を書く才能はなかったのだなと感じていたので、褒められると飛び上がってしまいます。
もし、この記事を読んで小説を読んでみたくなったら、すごくこの記事を書いてよかったと思えます。
長くなってきたので今回はここまでで失礼したいと思います。
それでは、また次回。











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